ラカン精神科学研究所では、毎月1回、月初めにメールマガジンを発行しています。
2019年7月1日、 ラカン精神科学研究所メールマガジン112号発行しました。
日々、クライアントの分析をする中で感じたことや、理論、自分の事を例にあげて書いています。
No,112今月のメルマガのテーマは、「川崎市登戸殺傷事件分析」です。
2019年5月28日朝、川崎市の登戸駅付近の路上で、私立カリタス小学校のスクールバスを待っていた小学生の児童や保護者らが、近づいてきた岩崎隆一容疑者に相次いで刺された。
この事件を精神分析の理論をもとに解説します。
…岩崎容疑者の父と母は彼が幼い時離婚した。
そして彼は一人残され、父方の叔父に預けられ育った。
…彼は母・父どちらからも見捨てられたことになる。
これは、まだ一人では生きていけない子どもにとって、
精神的死に等しい。
“眼差しを向けられない子は、自分の存在に気づいて欲しい。
彼は友達、人、犬にも石を投げる意地悪をしていた。
…こうして彼は完全に親から見捨てられ放棄され、
親にとって彼は不要のもの、ゴミ、廃棄物となった。
…親が子どもに背を向ける眼差しの拒絶が、子どもの怒りを生み、
犯罪の動機を作る。
精神的に殺された子は、後に自分が殺されたように
他者を殺める可能性が大きくなる。
…眼差しの喪失、信頼の喪失 から全ては始まった。
ということは、彼は眼差しと信頼があれば生まれ変われた。
しかし皮肉にも彼は亡くなってから注目(眼差し)を浴びることになった。
眼差しを受けるのは彼の中学時代の写真でしかない。
…彼は凶器として包丁を4本用意し、実際に使ったのは2本だった。
刃物(包丁)の象徴はペニス(ファルス)。
つまり彼は2度去勢されている。
…無力な自分は、いつか力のある自分として蘇りたい。
その力が、失われたペニスの代償である刃物に置き換えられる。
力の置き換えである刃物を実際に使うことで、
ファルスを持った強い人間として生まれ変わったと錯覚できる。
…このように精神分析の理論でみていけば、彼の行動・犯行は理解できます。
彼の人生のどこか、それもできれば早い時期に、
眼差しと信頼の回復ができたなら、
彼は事件を起こすことを避けられ、犠牲者を出すこともなかったのにと
残念に思います。
(メルマガより一部抜粋)
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ラカン精神科学研究所 セラピスト 登張豊実
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<秋葉原通り魔事件>
またしても、日本の家庭崩壊と社会の病理が生み出した、凄惨な通り魔事件が起きた。
私は瞬時にあの大阪の死刑となった「宅間」を憶い出し、彼の再来だと思ったあの無差別性は「社会と人間の不条理」を世に現して、宅間の殺人動機と同一であると確信した。
すると、正にあの6月8日は宅間の事件日だった。
とまれ、加藤も、あの記者会見で判る通りの夫婦の許に育てられ、あのサイトに書き込まれた彼の文面からも判るように、「主体性の奪取」による、彼の主体性の抹消こそ、彼の動機のすべてである。
あの夫婦、彼の両親の関係は、週間ポストの見出しにあるように、テレビを見ていた人誰もが抱いた印象を見事こう表現していた『倒れた妻をまるで荷物のように抱えた父親』と。
そして、その前に夫は、妻が泣き崩れているのに、一瞥もくれず、自分の荷物だけを先に家に入れていた。
ただ子どもを自らの自己愛の満足のために操り、主体性を奪い取りそして「見捨てた」のです。「中学になった頃には親の力が足りなくなって捨てられた」と彼は書いている。
夫婦の自己愛の道具にしたことと、見捨てられたことで、彼の心は壊れた。
あとは、親とそれへの憎しみを投影して、社会と人々に復讐することだけの主体が作りだした、「独占」行為しかなくなった。そうして選ばれたのが「ワイドショウの独占」だった。
事件を起す、それも飛び切りセンセーショナルなもので、それは「無差別殺人」しかなかった。
彼はこうして、日本の家庭崩壊した現状を先鋭的に示したのである。これは警告ではない、精神病理が現象化し始めた,パンデミック>なのだということをわれわれは知るべきである。
http://lacan-msl.com/contents.html">ラカン精神科学研究所
京都府長岡京市と神奈川県相模原市で昨年1月、親族2人を殺害し、現金を奪ったとして、強盗殺人の罪に問われた住所不定、無職、松村恭造被告(26)の論告求刑公判が30日、京都地裁(増田耕児裁判長)であり、検察側は「人間性のかけらもなく更生など不可能」として死刑を求刑した。
松村被告は意見陳述で、「事件の最大の原因は自分のエリート意識。自分は特別な存在だから何をやっても構わないとの考えが根底にあった」と説明。事件を起こしたことについて「全く反省していない。遺族を悔しがらせることができてうれしい」などと述べた。
「自分は理不尽な目にあった」「より罪を重くして自分を追い込みたかった」とも言っている。
(http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/murder/?1201697482 YAHOO!ニュース より)
「自分は特別な人存在」という松村恭造被告。
まったく心が育っていない、母親が何も手をかけず世話していないはず。
フロイトのいう口唇期欠損である。
口唇期とは、口と唇の刺激が心地よく、快感を求める0~1.5歳の時期である。
この時期に心地よく母のおっぱいなりミルクを飲み、適切に世話され満足感を味わっていないと、そこに欠損・欠如感が生じる。
以後この人は口唇の満足を求め続けることになる。
その最たるものが、アルコール、覚せい剤など。(三田佳子さんの二男も同じ)
アルコール・覚せい剤に依存し続ける、それは母に依存し続ける講口唇期のあり方そのものである。
依存とは人に甘えることであり、口唇期欠損者は、依存と甘えの行動をとる。
その一つには、自分がこうなるのは全て他者が悪いと思う。
自分の快不快は他者に依存しているから、自分を心地よくするのも不快にするのも他者である。
悪いのは外、他者であり、自分は悪くない、間違っていないという独善論にいたる。
このことと、甘えがいろんな構造を生み出す。
甘えとは、みんな自分を許してくれる、自分だけは特別だ、自分を嫌っているはずはない、何でも自分に与えてくれるはずだと思い込む。
松村被告の「自分は特別な存在だから何をやっても構わない」という言葉はそのものである。
「自分は理不尽な目にあった」とも言っているため、納得のいく世話などされていないだろう。
理不尽に自分を否定され、要求を満たされず、なんで自分だけこんな目にあわなければいけないんだと思っている。
自分がこんない理不尽な目にあっているんだから、人を理不尽に殺しても何の罪意識も持たない。
それ以前に、彼はもう主体性を認められず精神的に殺されてきているのだから。
適切に世話をし、やさしく育てましょうという。
それは、思いやりや配慮、愛情をかけられることによって、情緒性が育ち、人の痛みのわかる、思いやりのある人間に育つからである。
高級クラブでつけ回し、ブランド品のプレゼント…。前防衛事務次官、守屋武昌容疑者(63)の妻、幸子容疑者(56)が「身分なき共犯」として、夫とともに収賄容疑で逮捕された。妻が収賄罪の共犯として立件されるのは異例だが、山田洋行元専務、宮崎元伸容疑者(69)への“おねだり”は常軌を逸していた。
また、幸子容疑者は高級クラブに友人7、8人を連れてカラオケに興じ、請求書を山田洋行に送るようクラブオーナーに指示。公然とつけ回しをしていた、という。
日本は母性社会。母性社会とは、社会の中で生きる人間同士が、母子一体化のような未分化なまま馴れ合って暮らしていることをいう。
これはけじめがなく、汚職がはびこる袖の下社会である。
それを象徴するような事件である。
子どもが親にねだるように、企業におねだりした守屋武昌容疑者(63)と妻。
しかも妻は7歳年上の夫を、「坊や」と呼んでいたという。
ここにも夫婦でありながら、母子の関係がみえる。
自分たちの遊興費を山田洋行に払わせる。人のものと自分のものの区別がつかない。
そこに父性性など見えない。
薬物依存は、そう簡単には治らない。心の病であり、精神科に入院したから治るとも限らない。
覚せい剤に手をだしてはいけない、しかしそれが止められない。
それを止める強い自我が育っていない。
依存症は、甘えと依存そのもの。それはフロイトがいった、口唇期の欠損である。
0~1.5歳の頃を口唇期というが、その時期赤ちゃんは口と唇の刺激を求める。それはそれが快感で心地よいからである。
ちょうどこの時期と授乳時期が重なり、母の暖かい胸に抱かれ、おっぱいを飲む。このとき母親がどういう気持ちで、どのように世話したか。
アイコンタクトをとりながら、可愛い、愛しいと思って授乳できたか。
女優という仕事をもっていたら、おそらくゆっくりと子どもと向き合い、世話をすることは難しかったのでは。
そうすると、子どもの側は、不充分な授乳体験とともに、心に欠損をつくり、いつまでもそこに固着する。
そこで心の時計は止まり、心は満たされないまま、欲しい欲しいと子どもの自我のまま留まる。
母のおっぱいは後に、お酒、タバコ、薬物などに置き換えられ、その欠損の度合いによって、依存症へと移行していく。アルコール依存、ニコチン中毒、薬物依存というように。
ならばどうすれば高橋祐也容疑者は、薬物依存から抜け出し、その年齢に相応しい生活が出来るようになるのか。
三田さんは読み上げた文のなかで「女優の仕事をしていていいのだろうか。仕事をするより、子どもを監視するべきではないかと悩んでおりました」とあるが、子どもが覚せい剤に手を出さないか監視するのではない。
欠けた愛情を注ぎ、世話をし、見守るのである。それを育て直しという。
不登校でも、非行でも、育てなおしをしていくと、母親と一緒に寝たり、お風呂に入りたいと言い出す子がいる。そこまで退行できるということは、母親が母親として子どもに認識された証しでもある。
踏み外した階段は、踏み外したままでは上がれない。もう一度欠けたところまで戻って、やり直すこと。
母親が元気でいるのならそれが一番早い、近道。
「すべては私たち夫婦の養育、教育の失敗」といわれているが、その事の本当の意味をわかっておられるのか。
「どうすれば立ち直らせることができるのか方法がわからず、夕べも一晩泣いてしまいました」と。
私のところに聞きにきてくれれば、彼の行動を説明し、対応法も全てお教えするのだが。
私自身ボクシングについては詳しくなく、ときどきテレビ画面で亀田家の人たちのことは、それとなく見ていた。
その印象は、対戦相手に対する挑発的な態度。その中で聞かれる、相手を馬鹿にしたような発言。
そして今回、度重なる反則行為と、それを助長するような父と兄の言葉が問題となった。
残念ながら、亀田家の父、史郎氏には父性がない。
社会とは組織である。それは社会を構成する各要素が結合して有機的な働き(多くの部分が集まって1個の物を作り、その各部分の間に緊密な統一があって、部分と全体とが必然的関係を有する)をする有する統一体である。そこには当然ルールが存在する。
父とは、この社会のルールを教える役目がある。して良いことと、悪いことを教えるべき立場の人が、一緒になってルールを犯してどうするのか。
一家のなかだけであれば許されても、対社会となったときそれは許されない。
そういった父の下で育った息子たちは、野放しとなり暴走するのは当然といえば当然。
また父は、その一家のなかで旗頭となり、一家が進む方向を指し示すのだが、それが反則を犯しても勝つことが優先されたということか。
父、司郎氏は、「大毅にとって、1年間のライセンス停止処分はあまりにも長いと思います」と言ったが、長い短いを言う前に、親子共々社会性、ルール、スポーツマンシップを学んでいただきたい。
亀田家の人たちが今回のことをどう考え、とらえ、反省し、今からどういう方向に向かうかである。
主演映画「クローズド・ノート」、初日舞台あいさつで、司会者が話を振っても「別に…」「特にないです」としか話さず、最後まで不機嫌さを隠そうともしなかった、その態度に批判と失望の声が相次いでいるという。
賛否両論様々あるようだが、本人が公式ホームページで謝罪のコメントを発表し、長ければ来年の1年間を謹慎する可能性もあるとか。
ネットの記事を読んだだけで、彼女についてこれ以上の詳しいことは知らないが、確かに舞台あいさつでの態度はバッシングの対象になるだろうとは思う。
21歳という若さもあるだろうが、過剰な自己愛のもと、自分だけは特別、何をやっても許されるという誇大自己を持ち、高を括っていたのではないか。それは甘えと依存のあらわれでもある。対社会に向かったとき、それは許されない。
健康な自己愛を持った人は、他者を愛することができる。(自分を愛するように、人は人を愛せる。自分を愛せないものは、他者をも愛せない)だから人をファンの気持ちを大事にし、不愉快な気持ちにさせるようなことはしないだろう。それがいくらキャラだとしても、そのときたまたま機嫌が悪かったとしても、冷静な判断をして、その場にあった態度をとる。
一方で、彼女のふてぶてしい態度をよしとする人もいる。その人たちは、自分もそのように社会で振舞いたいが、それはできない。本当は自分がやりたいことを代わってやっている彼女に、自分を重ねてみているところがあるだろう。
人は、現実の自分をしっかりみつめて、かくありたい自分になる努力をし、周りからも認められる、現実の裏づけをもっているか、肥大した自己イメージ、かくありたい自己イメージのみを見つめ、現実の等身大の自分が見えていないかの違いは大きい。後者を自己愛者という。
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1983(S.58)年 結婚とともに京都市伏見区に住む。後に二女の母親になる。
1994(H.06)年 精神分析を受け始める
二人の娘をのびのびと心豊かに、優しく育てたいと願いながら、全く逆に口うるさく命令指示し、手さえ上げてしまう自分に愕然とし、これは治療の範囲であることを自覚し、分析治療に入る。
1996(H.08)年 大沢精神科学研究所のインテグレーター養成講座で、3年間精神分析理論を学ぶ。
1999(H.11)年 吉川精神科学研究所を開設する。
1999(H.11)年 母親教室開始。
2001(H.13)年 吉川精神科学研究所ホームページ開設
2004(H.16)年 ラカン精神科学研究所に名称を改め、インテグレーター名を天海有輝とする。
2004(H.16)年 ラカン精神科学研究所ホームページ開設
2005(H.17)年 京都府青少年の社会的ひきこもり支援ネットワーク協力参加
2007(H.19)年 天海有輝のセラピー日記(ブログ)開設
2007(H.19)年 ㈱ラボックスの「京都良店」に「京都良店的深層心理テスト」掲載開始。
2007(H.19)年 分析理論講座・インテグレーター養成講座開始。
ラカン精神科学研究所の名称と、インテグレーター名「天海有輝」は、精神分析的考えのもと、他者の願望や欲望によって付けられた、子ども時代の名前を改め、自らの意思と主体性をもって、自らが名づけました。フランスの分析家ジャック・ラカンを目指し、また無意識という闇を意識の光で照らし、自らも天と海の間にあって、光り輝く人となるように、そういう意味を込めました。